本当の自分の姿。
今時「義理」って書いちゃうチョコあるんだなって思いました。
どーもよいちです。
昨日の
の続きです。
ちなみに、前半の項目すべてで不細工に見える場合は、、、以下略
こんなものかってレベルですね。
たまに、すごく疲れて見えます。
そろそろ不細工になってまいりました。
え、友達に聞きたい!
こうやって見えてるんですか?
あなたのそれにはこれが写ってるんですか?と
でも、一緒に写っている友達は普通。いたって普通。
おかしい。
この辺りからおかしいと感じ始める。
いやーーーー
撮り直しても変わらんし。
これで証明したくない。
しちゃうの?これで証明しちゃうの?
痛恨の写り度合い。
本当はこんなもんじゃないんだと証明したい。
堂々の第一位(9位)はインカメの私。
うわっ!なにこれ。
死にたい。
これが本当の姿なら自殺を視野に入れるレベル。
死なないけど。
これ本当にわたしですか?
私だった。
無念。激しく無念。
まとめ
鏡も写真も不細工は本当のぶ、、、という事実からは目を背けるとして、鏡のほうがましに見えることは明らかである。
では、本当の自分の姿とはどれであるのか。
鏡に写った自分なのか、はたまた写真なのか。
ここで、我々を地獄に突き落とす資料を手に入れた。
「鏡は左右非対称であり、本来の姿ではない」
つまり、鏡はうそだよ。と抜かしおったのだ。
なんたること。
夢を描くことすら許されないというのか。
いや、認めんぞ。
自分の顔とは、自分が直接見ることのできない唯一のものであり、鏡も写真も、その視点から見た「自分」であるということに変わりはない。
鏡に写った姿も自分でしょうが、
写真の姿も何かの手違いか、自分です。
つまり、どれもが自分であるということが重要なのではなかろうか。
周りの人からは、どのように見えてるかなんて分からない。
自分で見たって、いつも違って見えるのだから。
そう、自分の姿を定義することなんか自分ではできないのである。
納得。(無理やり)
と、きれいに結んだ。笑
まー、きっと自信を持つことが大事。うん。